fa-leanpub「ある閉ざされた雪の山荘で」読了
3月13日
「ある閉ざされた雪の山荘で」を読了した。
去る、2月27日に3冊購入したうちの最後の一冊だ。
この小説の初版は26年前になり、著者は今も大人気作家の東野圭吾氏によるものだ。
26年前というと、ちょうど私のような団塊ジュニア世代が新卒で就職をした頃と年代が重なる。当時はポケットベルから携帯電話に移行が始まった頃で、携帯電話を持っている人は少数だった。当然のことではあるが、現在では当り前に存在しているものが存在していない世界で描かれているため、そのギャップが常に頭の片隅にある中で読むことになる。それがどのような感覚を引き起こすのかは興味があった。
私の手元にある文庫本では最新が2017年に刷られているので、この作品の需要は26年前から継続していると推測できる。どうやら、私の思う時代ギャップは杞憂なのだろう。
この作品の特徴は、構成が面白くかつ複雑なのに分かりやすい点と、いわゆるエピローグにあたる部分にボリュームを割いているところだろうと思う。
総じて読みやすく、論理の組み合わせも面白い。特に構成においては初めて目にするパターンだった。登場人物の各人が複数の視点を持って行動する必要がある上で全員が役者であるという設定が、読者を巻き込んで推理へ誘ってくる。その読者の推理と重要ポイントのまとめを ”久我和幸の独白” が代弁している。この時点で読者がどのように考えているかは著者の掌の上であり、やはり、東野圭吾氏は天才なのだろう。
エピローグにあたる、所謂、探偵のターンにボリュームが割かれている点は好き嫌いが別れるのかもしれない。最近のミステリー小説のトレンドは、クライマックスに向けて文体のドライブ感が増し、少ない文字数で大きなインパクトを与える方向に向かっていると感じている。私個人の主観では、現代型の演出の方が好きである。