Memories
我が青春時代の「感動できない病」

「感動できない」=「人生経験が少ない」

 私の感覚が、周りの皆と違うことに気づいたのは社会人になってからだ。

 

 修学旅行、海外旅行、臨海学校、キャンプといった「楽しかった想い出」は誰でも一つや二つはあるものだ。

 

 しかしながら、私の場合、そのイベントに参加していた「瞬間」においてはまったく「楽しさ」を感じられずにいた。むしろ、イベントの最中はもとより、イベントの日が近づくと憂鬱な気分になることも少なくなかったのだ。

 

 つまりは、私の楽しい想い出は全て「長い時間が経って、振り返ってみたらあの時は楽しかったな」という形のものしか存在しなかったのだ。

 

社会人になってから向き合うことになった

 社会人になって10年が経過した頃に、この症状に向き合うことになった。それまでは30年を超える人生経験の中で「自分はそういう人間で一生このままなのだろう」と受け入れ、半ばあきらめていたのだ。

 

 企業の開発職で10年も経つと技術的なスキルは全て習得済で、管理職的な業務をこなす必要も出てきた。そんな最中に野望にも似た欲求が私の中に芽吹いてきた。「人をコントロールする方法」を習得したい、そう思った。なかなか得難いスキルだとは思ったが、関連する書籍を読み漁り直接その著者と話せる機会を得た。

 

私の質問にその著者は即答した

 ある懇親会で著者と話す機会が訪れた。その著者は脳科学の権威であり、個別に時間を拘束するには1時間で100万以上必要だという話を聞いたことがあった。場違いの質問かと躊躇はあったが、思い切って問うてみた。

 

 「私には楽しい記憶が幾つかあるが、その記憶の内容を実際に体感している瞬間には、まったく楽しくなく寧ろネガティブな感情です。なぜでしょう?」とストレートに投げかけた。

 

 著者は「それは経験が少ないからだ」と即答した。しかもそれは経験や体感を重ねていけば改善するというのだ。

 

 初めて体験する事は、普段の慣れ親しんだ状態に比べて大量の情報が脳に流れ込んでくる。すると、情報処理に脳が占有されるうえ、知らない情報が緊張状態を作り出してしまう。つまり、ある程度経験を積んでないと常に緊張状態でイベントに参加してしまい、楽しさを感じる余裕はないというのだ。

 

 自分の過去を振り返り、思い当たる節がありすぎて返す言葉も見つからなかった。

 

感覚が180°変わった

 著者の見解が正しいのであれば、改善するのは難しい事では決してなかった。

 自分の興味がある事は突き詰めて、誰かに誘われたなら多少気が進まなくても断らない、そして何より経験を疑似体験できる「読書」をすること。

 

 たったこれだけの事を実行しただけだったが、半年も経たないうちに感覚が変わりつつあることを実感した。その後は経験に対して対数グラフのように感受性が向上していった。自分の脳で実験をしていく中で、次第に感覚が変わっていくことに小さなワクワクを感じていた。

 感覚の変化表現するならば、以前の状態が「防御」で今は「攻撃」といった感じだ。

 

 とりわけ読書の効果は大きかった。「読書は人生を豊かにする」とよく言われるが、このケースはまさにと言わんばかりだ。世の中は自分が思っていたよりも色鮮やかだった。私は見える景色が変わった。願わくばもっと早く気づきたかったという気持ちもなくはない。

 同じ境遇の戦士が他にもいるかもしれない、私の経験がそんな者の一助になればと願う。

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