Memories
止まれるもの止まれないもの

男には負けると分かっている闘いに行かねばならない時がある

 こんなにも信じ難く非合理な台詞が美学のように語られた時代があった。

 

 ・・・昭和だ

 

 幾つかの日本映画でこのセリフが出てきた記憶が朧げにある。

 「負けると分かっていながら戦う」このシチュエーションに当時の大人たちが第二次世界大戦敗戦への想いをリンクさせていた。酷くナンセンスな内容でありながら多くのシニアの記憶に残っている理由なのかもしれない。

 

 「令和」の時代においてこの表現は突っ込みどころ満載だ。著名人がうっかり発言しようものなら、それを別の著名人が言葉巧みに批判する。最後には金魚のフンのような奴等が承認欲求を抑えきれずに安全地帯から騒ぎ立てる。見飽きた炎上ストーリーがリアルに目に浮かぶ。

 

 すでに絶滅した思想なのかと思いきや、ビジネス界の一部には未だに色濃く影を落としている。

 

 私の知る限り開発職においてはその傾向が強いといえる。

 

 新商品を生み出すタイプのプロジェクトは、その進行とはお構いなしに市場環境が変化し続ける。したがってほとんどの場合、プロジェクトキックオフ時の企画コンセプトがそのまま製品発売時に訴求力を維持できている可能性は低い。。。

 よって、市場環境の動向に目を光らせながらプロジェクトを進行させる。製品が市場投入されるタイミングで市場環境にマッチする形にできなければ売り上げが上がらないからだ。予算を気にしながらこの細かいコントロールをしているのがプロジェクトリーダーとなる。

 

 字面だけを見ると、フレキシブルに対応できていて理に適っているように見えるが、内情はしがらみの塊といえる。

 

 ゴール地点(製品投入時の市場環境)を推定しながら、組織を動かすというのは思いの他骨が折れる。しがらみで身動きできない状況があちらこちらに存在するからだ。

 

 指示をされる側の立場で想像してみると見えてくるものがあり、他人が推定で決めたゴールに対して自分の労力を費やすとしたときに、自分の評価が他人のゴールに向けた成果で決まるとしたらどうだろうか。途中でゴールが変わることが茶飯事だがどうだろうか。評価対象が最終品のみだとしたらどうだろうか。

 評価される側が高い評価を受けることは思いの他難しいだろう。

 

 一方、経営者の立場で想像したときに見えてくるものは酷くドライな世界で、承認と時間と利益のバランスでしかないのだ。

 

 新製品を開発するプロジェクトが進行中に必ず直面する「小さな負け戦」はまさに、「男には負けると分かっている闘いに行かねばならない時がある」という状況に似ている。経営者とプロジェクトメンバーの間には理不尽なことがいくつも発生する。理不尽なことにいちいち目くじらを立てていたのでは最終的に自由を奪われるのはプロジェクト側で、ある時は甘んじて受け入れ、それでも己の裁量範囲を失わないような絶妙な立ち回りが要求される。

 

 とりあえずここまでは進んでおきましょう・・・とか、ここまでは承認されているから進めて、そこでこの理由を提示して予算をこう修正して・・・とか、判断を先送りにしたりとか形はさまざまだ。少なからず金と時間を浪費してしまうことになる。

 数字からのみ判断すると、とても合理的な判断とは言い難いが、どの企業にも同じようなことは存在する。

 

 仕事には「止まれるもの」と「止まれないもの」がある。それは人間が介在していることが最大の理由で、仮にAIだったら適切な一意の答えを出すのだろう。結局は私たちの力不足と、上層部の責任逃れと、部下への評価体制等々が複雑に絡み合っているのが原因と言える。

 かといって、全てを原因から紐解いてつまびらかにすることは多くの場合得策ではない。多くの企業が騙し騙しやってる部分があり「やぶへび」だからだ。正確には騙し騙しだから回っているというのが正確な表現なのだ。特にプロジェクトスタッフは「知らない方が幸せな事」というのは思いの他多く、一切の批判は口にしない事が自身の身を守るうえで重要といえる。

 

 もうすぐ終戦記念日だが、今から80年前には同じようなやるせない想いの中、命を捧げた軍人が居たのだろうか。

 

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