Memories
我が青春の「カワサキ ZZR」

バイクの記憶

 私は大学2回生のとき、友人から「カワサキ ZZR250」を購入した。学校に通う連中の多くがバイクに乗っていたため、好奇心を煽られて中型の免許を取ったのだった。福岡の私立大学へ下宿する形で通学していた身分からすると、ホンダDUO(50cc)、スズキアルト(550cc)、カワサキZZR(250cc)の3台を所有していた私は贅沢な暮らしをさせてもらっていたものだと懐古する。

 

 同じ学科で沖縄県出身の友人が、「ハチロク」に乗り換えるから ”よかったら売ってやるよ” と言ってきたので、それに応じた形で購入した。当時25万円で譲ってもらった記憶がある。

 

 本来「ZZR」であれば400ccに乗りたいところだ。車体はリッターバイクほどもあり、4気筒エンジンでかなりの人気があった。しかしながら、そこまでの金を用意するには時間がかかりそうだったことに加え、何より、早く自分のバイクで出かけてみたいという欲求が勝ったのだった。

 

 当時のオートバイは ”レーサーレプリカ” と ”ツアラー” と呼ばれるものに2分されて、「ZZR」は後者に含まれた。

 

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 この頃のレーサーレプリカは3年前まで続いていたバブル景気のおかげで、ものすごく贅沢な設計がなされていた。とりわけ、2ストロークエンジンを搭載したレーサーレプリカ「NSR」の人気はすさまじいものがあった。パワーバンドが8500回転付近で低速トルクは細く発車には気を使うけれど、1速でパワーバンドまで引っ張って、2速にギアアップしたときの加速感は強烈で脳が溶けるような感覚がしたものだ。

 

 贅沢な設計のおかげで、自分の技術を超えたスピードでコーナーに侵入しても簡単に曲がり切れてしまう。ワインディングロードを走る感覚はヒラヒラといったイメージだ。マシンが「もっと回せ」 と言ってくるような錯覚を覚えたものだ。

 

 そんなこともあって「NSR」はバイク史上最も死者が出たバイクとしても有名だ。同じ学科で宮崎県出身の友人はレーサーレプリカに乗って事故を起こし、あと少しで片足を失うところだった。当時、こういったバイク事故は珍しい事ではなかった。

 

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 私の「ZZR」は2ストでもなければ、吹けが良い4気筒エンジンでもなかったため、いわゆるスポーツライディングには向いていなかった。とはいうものの、捻ればそれなりの加速はするもので、様々なところを走ったことを記憶している。

 

 最も鮮明な記憶は、志賀島の外周でレースをしたことだ。志賀島は非常に景色が良くバイク乗りには人気のスポットだが、ところどころ道に砂が吹き上げていて油断すると非常に危険なのだ。80キロくらいのスピードで砂に乗り上げると、後輪が左右に激しく揺れる、それを後続の友人が見て爆笑する。

 

 あの景色から30年、あの頃の自分の馬鹿さ加減に笑いがこみ上げてくる一方で、再びバイクに乗ってみたいという衝動に駆られている。

 

 今、世の中は空前の旧車ブームで中古車には驚くほどの高値が付いている。買っているのは私と同世代の、まさしく団塊ジュニア世代だ。マシンの性能だけを考えるなら最近のマシンが圧倒的に安全で扱いやすいはずだが、そうでないことを思うと、旧車に乗ることで、あの頃を懐古したいという想いがあるのではないか。

 

 ちなみに、私は今、「HONDA SUPERFOUR」に乗ってみたい。やはり、旧車なのだ。

 

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