Memories
わが青春の黒歴史 「ボコスカウォーズ」

初手で「ボコスカウォーズ」を買ってしまった少年の話

 私の中学時代を語るうえで避けて通れない黒歴史がある。

 

 中学2年の頃、私はやっとのことで親にファミコンを買ってもらう事に成功したが、その道程はひどく惨めで、どこまでも長いものだった。

 

 私の父親は野球で、母親はソフトボールのスポーツ推薦のような形で高校に進学したのち社会人になっていた。そんなこともあってか、私が身を置いた家庭はスポーツへの価値観が異常に高いものだった。

 

 幼少の頃からボールやバット、グローブはすぐに買い与えてくれたが、ゲーム機を要望してもまったく意に介されない日々を送っていた。1980年代、子供は外で遊ぶものであり、テレビゲームは目が悪くなる「悪の象徴」かの如き扱いを受けていたのだ。

 

 そんな状況が変わったのは、ファミコンがブレイクして2年が経とうとしていた頃だった。保護者間の話題の中で、ファミコンの無い家庭というのが少数派であることを私の両親が認識したのだ。ファミコンの有無が友人関係に大きな影響を及ぼす事を知った両親はさすがに考えを改めるに至り、ついには我が家にもファミコンが設置されることになったのだ。

 

 当然ながらファミコンは本体だけでは遊べず、カセットが必要だ。本体は親が用意してくれたが、カセットについては小遣いで買う事が約束となっていた。

 

 私はかねてより目を付けていたカセットがあった。近所の家電量販店のガラスケースに並んでいて、最も高い値札が貼られていた「ボコスカウォーズ」6500円だ。当時のファミコンカセットの相場といえば、5000円以下が主流であった中、異彩を放っていた。

 

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高額なものほど面白いゲームであるはずだ

 どんな物でも値段が高いのには理由があって、高ければば高いほど良いもので面白いものである

 

 こんな刷り込みを当時の私は何の疑いもなく受け入れていた。私は記念すべき黒歴史の1ページを綴る事になる。

 

 当時の小遣い1ヶ月分以上を注ぎ込み、私は「ボコスカウォーズ」を購入した。「ボコスカウォーズ」は私が初めて買った記念すべきファミコンカセットとなった。家電量販店からの帰り道、車の助手席で待ちきれずに箱を開け、説明書を入念に読んだ。期待は高まるばかりだった。

 

 家に帰ると小学生の弟が期待に目を輝かせて待ち構えていた。

 

 ファミコンがブレイクして友人の家庭の多くにはすでにファミコンがあった。我々兄弟は長きに渡ってその必要性を親に説明、ねだり倒し、、、遅ればせながらようやく我が家にやってきたファミコン。それに初のカセットがやってきた。テンションが上がらないわけがなかった。

 

悟られてはならない絶望

 我が家にファミコンが来たのは初めてだが、扱い方は慣れたものだ。

 すぐさま「ボコスカウォーズ」をファミコンに挿し、電源を入れた。

 

 自宅のファミコンで遊んでいるという違和感のためかフワフワした感覚で「ボコスカウォーズ」を遊ぶ。私が遊ぶ様子を家族が見守っている。私が念願のファミコンで遊び喜ぶ様子を見たいのだろうと、容易に察することができた。

 

 しかし、しかしだ、ぜんぜん面白くないのだ。私と弟は悟られないように、静かに絶望した。それはプレイを始めて5分も経たない時点で、「ボコスカウォーズ」が「スーパーマリオ」はおろか「チャレンジャー」や「アイスクライマー」にも遠く及ばない事を確信したからだった。

 13歳の未熟な頭脳で「ボコスカウォーズ」の面白い部分を探そうとするが、どうしても見つからない。一番の原因は勝ち負けが「運」という点だ。6500円もするゲームが「運」ってどういうことだよ。と胸裏で憤る。暗く短調なBGM、ご丁寧に説明書にはそのBGMに合わせて歌える歌詞まで載っている。そんなことするくらいなら少しでも面白くしてくれよと悲しくなった。

 

 しかし、しかし、しかしだ、そんなこと口が裂けても言えない。さんざんねだり散らして買ってもらったファミコンを遊び始めて5分足らずで「つまらない」などと言えるわけがないのだ。小学生の弟が素直な感想を無邪気に口走らないか本気でヒヤヒヤし、生きた心地がしなかった。さすがに私の境遇を察したのか、弟が余計なことを口走ることはなく、複雑な心境の中、その場は事なきをえた。

 

希代のクソゲー「ボコスカウォーズ」

 この事件は私の黒歴史となり、トラウマとなった。

 

 僅かな救いは、私が学校で「ボコスカウォーズ」を ”とんでもないクソゲー” だと声高らかに吹聴したことで、怖いもの見たさでプレイしたいという友人が相当数現れたことだった。当時はカセットを交換して遊ぶことが主流だったため、私の「ボコスカウォーズ」は意外にも交換対象として人気があったのだった。

 

 あの事件から酷く落ち込んだ日々を送っていたが、結果的に私は「ボコスカウォーズ」で多くの種類のゲームを遊ぶことができた。

 

 それからというもの「ファミリーコンピュータマガジン」「ファミコン通信」で入念な調査と友人との情報交換のもとカセットの購入をするようになった。

 

 今となっては30年以上も前の話になるわけだが、職場で「ボコスカウォーズ」の話題を出すと意外にも話が通じるのだ。もしかすると私と同じようにトラウマを抱えているのかもしれない。買ってしまったことが恥ずかしすぎて笑いにも昇華できずにいるのではないだろうか。

 

 そんな「ボコスカウォーズ」の罪は深すぎると思うのだ。

 

 

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