
歴史の転換点に置かれた目印
7月8日
今日はこの話題しかないだろう。向こう1週間は間違いなく今日の話題で持ち切りのはずだ。
安部元首相が遊説中に散弾銃で狙撃され死亡した。
ようやく日本でもこの手の事件がが起こったかというのが素直な感想だ。この手の犯罪に賛成するものでは決してないのだけれど、犯人の心情は理解できる。おそらく、大多数の日本人は犯人を批判しつつも、その心情は十分に理解できているのだと思う。容易に理解できる理由がいくつも思い当たるからだ。
「負け組」の犯行だろう。
これから「暴力に訴える事は許されない」とか「民主主義のどうたらこうたら」と講釈を垂れ流す人間が大勢出てくるわけだが、今日を境にこの論理は通用しなくなってくることを認識しなくてはならない。確かに正しいことを言っているのだけれど、問題はこういった発言をしている人間は所謂「勝ち組」側の人間だというところにある。
「勝ち組」「負け組」を分ける基準は難しく、価値観の変遷によって日々変化しているが、2022年7月の今日現在二者を分ける最も大きな要素は将来への希望をどの程度持っているかという点だと推測する。直近数年の日本ではコロナの不運にも見舞われて、この二者のバランスが大きく「負け組」に偏っている。
日本が本当に民主主義国家ならば、多数派の「負け組」の主張がもっと力を持っているべきなのだが、実際はそうではない。一方にある「資本主義」という考え方が優先概念として存在していて、結果「勝ち組」の主張が少数でありながら採択されてきたからだ。
結局のところ、今回の事件は「民主主義」と「資本主義」の折り合いが付かない事が原因といえる。
随分前から静かに歪んだ民主主義へと移行してきたが、その歴史の転換点に目印を付けるかのように、元首が射殺されるという惨事が起こってしまった。
我々はまたしても生き方マニュアルにパッチを当てなければならなくなったということだ。







